姉のこと
お久しぶりになってしまいました!こんにちは!
ツイッターばかりやってないでブログ更新しろよって話ですよねw
今回は一号の姉の話をしたいと思います!
もうだいぶ前のことなので記憶も曖昧ですがw
一号の姉
一号には三つ年上の姉がいました。
過去形なのはすでに亡くなっているからです。
姉は22歳という若さで自らの命を絶ちました。
姉が他界してからもう十年以上が経ち、
一号の年齢も姉が亡くなった年齢より一回り以上も上になっているんですよね。
信じられないです。
姉との思い出は沢山あります。
まずは一号の姉がどんな姉だったのかお話ししますね!
姉の子供時代
姉は四人兄弟の中で唯一の女の子。
それはそれは父親にだいぶ甘やかされて育ちました。
末っ子の一号から見てもあからさまに差を感じるほどだったので、
兄たちは余計に感じていたでしょう。
そんな姉は自己中心的。
まぁ、一番権力のある父親が甘やかすからそういう思考になってしまったんでしょう。
子供の頃はわがままなお姫様タイプでした。
一号と姉
完全なる主従関係にありましたw
記憶にあるのは姉が「靴下穿かせて」と言えば何も疑問に思わずに靴下を穿かせたりしていた事や、姉に親のお財布からお金の盗み方を教わったりしていたこと。
一号が髪を染める為に毛染め液を塗り、放置時間で待っていると「出かけるよ!」と言われ、その状態のまま連れ出されたり。
一号がいじめにあったことを知った時に指をさされて笑われたり。
ひとの失敗を嘲笑う小悪魔のようなろくでもない人ですねw
それでも一号は姉が大好きでした。
頭の回転も早く、センスもあっていちいちおもしろい。
それに他人とは違う視点で物事を見る人で、沢山相談させてもらい沢山アドバイスももらいました。
いくらバカにされてもどこか愛を感じるそんな人でいまだに適わない人です。
姉の半生と亡くなるまで
姉は中学生になると家出を繰り返したり、塾で知り合った男子と合コンしていたり…
高校生になると一人暮らしを始めますが、無理なダイエットの結果、摂食障害になったり、犯罪行為(内容は控えます…)を繰り返したり、自傷行為をするようになったり…冗談にもまともとは言えない生活を過ごし、高校三年生のある日、姉は妊娠しました。
高校を自主退学して、彼の実家で義両親と同居になったんですが、しばらくすると離婚。
姉は実家の仕事を手伝いつつ子供と二人暮らしを始めましたがまた自傷行為を繰り返すようになってしまい、病院に行くことに…
そこで姉は躁鬱病で擬似解離性同一性障害だと診断されたと言っていました。
そして二人暮らしは無理があるということで姉と子供は実家に帰ってきました。
双極性障害(そうきょくせいしょうがい、英: Bipolar disorder)は、躁病(そうびょう)と抑うつの病相(エピソード)を循環する精神障害である[1][2][3][4]。
ICD-10と以前のDSM-IV(1994年)では、うつ病とともに気分障害に分類されている[5]。ICD-10における診断名は双極性感情障害であり[6]、もっと古くは
躁うつ病 (、躁鬱病)と呼ばれた。双極I型障害と、より軽い軽躁病のエピソードを持つ双極II型障害とがある。双極性障害の躁状態、うつ状態はほとんどの場合回復するが、90%以上再発する。単極性の(躁病のない)うつ病は異なる経過をたどる。発病のメカニズムや使われる薬は異なる。
気分安定薬による予防が必要となることが一般的である[7]。双極II型障害に対しては証拠が少なく薬物療法はケースバイケースで判断する[8]。生活習慣の改善が必要となる[7]。障害とは生涯にわたるつきあいとなる。20年後の自殺率は6%以上高く、その他の不安障害、薬物乱用などの併発も多い[9]。
世界保健機関(WHO)は世界で6000万人が罹患していると推定している[3]。好発年齢は25歳で[9]、初回発病は15-19歳からであり12歳以下は稀である[2]。35歳以上でも別の原因が念頭に入れられる[10]。一卵性双生児における一致率は50 - 80%と、二卵性双生児 (5 - 30%) よりも高いことから、遺伝要因の関与が高いことが指摘されている[11]。
解離性同一性障害(かいりせいどういつせいしょうがい、英: Dissociative Identity Disorder ; DID)は、解離性障害のひとつである。かつては多重人格障害(英: Multiple Personality Disorder ; MPD)と呼ばれていた[注 1]。
解離性障害は本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと感じたり、あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害であるが、解離性同一性障害は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである。
DSM‒5では、解離性同一症の診断名が併記される。
※解離性同一性障害の擬似というのは、別人格が表に現れている状態の時の事も記憶として残る人のことをそういうらしいです。
姉の主人格は奥深くにいるらしく滅多に表へ出てこないらしく普段はよく表に出てくる三人ほどの人格が姉の真似をして生活をしていました。
姉いわく真似といっても元々は同じ人間なので、真似という次元の話ではなく見分けることは不可能レベルらしいです。
姉の病気は全く良い方向には進まず、次第に別人格が出てる間の記憶も無くなり擬似という文字も外れました。
入院、退院、通院を何度繰り返したことかもう覚えてません。
人格の数も把握できているだけで60人ちょい。
もしかしたら最後まで見つかってない人格もいたかもしれません。
数だけ見ると凄いですが普段表に出る人格はだいたい決まっているので、
一号が会った人格は数えるほどしかいません。
その頃に一緒に過ごした生活はなんとも言えないですね。
夜中に「別人格が大量に薬飲んだから病院連れてって!」と姉に頼まれ、病院へ行き胃洗浄してもらったり、姉が一号の目の前で手首切るのを眺めてたり。
そんなのが日常で、これが当たり前に続くと思っていました。
完全に感覚が麻痺してましたね。
その後、また姉は入院。
そのうちすぐ退院するんだろうと甘く考えていたんですが、夜中に病院から電話。
私以外の家族は皆寝ていたので、私が出ました。
「○○病院です。少し目を離してる間に姉が首を吊ってしまいました…かなり危険な状態です」この時のことはかなり鮮明に覚えています。
すぐさま両親を起こし、早く病院へ行くように伝えました。
私は何も知らずに眠っている姉の子と一緒に家で待つことに…
そして翌朝、両親が帰ってきてから一号は姉が亡くなったことを聞きました。
姉の葬儀
姉の葬儀には信じられない程の人が…
一号が知ってる人もいますが知らない人も沢山いました。
社会的には認められないような人でしたが、人柄なのか、姉は一号の想像以上に多くの方々から愛されていたようでした。
この葬儀の日、一号は生まれて初めて父と母の涙を見ました。
姉が亡くなってから知ったこと
姉は幼少期、幼稚園ではイジメを受け、それと同時期に近所のおじさんに性的ないたずらをされていたようです。
初めて人格が作られたのもその時期だと思われます。
また中学の家出時代に友人の父親が自殺しているのを目撃したり、友人の自殺未遂を目の当たりにしたり、妊娠中に性的暴行にあったり、元旦那からDVを受けていたり…
そりゃあんだけ人格増えるよ。
辛かったよね。
姉の子供
元気に過ごしてますよー!
もうすぐ大学生!
父と母が頑張って育ててます(´。•ω•。`)
姉とは違い温室育ちのこの子は楽観的で、アホだなと思います笑
姉へ
あなたとは話したいことが沢山ある!
あれからあなたの子供がどんな風に成長していったのとか!
あなたが亡くなってから一号は2度も離婚して今はシングルやってるとか!
私がどん底にいる時にあなたに腹抱えて笑ってほしかったよ!!!
そういう話大好きじゃんか!!!
もう!!!
今話せたらめちゃくちゃ盛り上がりそうなのに!!!