育児日記

父子家庭のおもひでぽろぽろ

病んでるからダラダラ〜っと書いたやつ

私は両親の仲の良い姿なんて見た記憶はひとつもない。

物心ついた頃からずっと母から「離婚する」「出ていく」「お前はどっちについて行くのか」と言われていたし、結局、「子どもの為に」みたいな理由でなぁなぁになるのを繰り返していた。

両親に確執ができたのは母が私を妊娠した時。

父が「おろせ」と言ったらしい。

父は待望の女の子を既に授かっていたのでその後の子は用無しだったんだろう。

母は私と姉の間に妊娠した子も既に1人、中絶していた。

その事もあり、絶対に産むという決意のもと母は私を産む為に実家へ帰ったみたい。

どのくらいの期間、実家に居たのか、私の兄姉達は置いてきたのか、一緒に連れていったのかとかの詳細はよく分からない。

父から「もう産んでいいから帰ってこい」とたびたび連絡があったということは聞いた。

ある程度成長していたとはいえわざわざそんな話を本人である私にする母もどうかと思うが…

 

私は両親の仲の良い姿なんて見た記憶がひとつもない。

父の自営業の仕事を母も手伝ってはいたが、家では一言も話さない、顔も合わせないような生活が当たり前だった。

父は家事も育児も全くしない人だったので、母に捨てられたら終わると想いながら生活していたのを覚えてる。

仕事の都合で両親とも家に居る時間は少なく、放任主義の元で育てられた。

学校でも入学してすぐにイジメられ、家では兄姉達から貶され罵られ、親の兄弟差別も当たり前。

私は兄姉達と比べて一際低スペックで軟弱者なので親からなにひとつ期待されることも無く認められる事もなく褒められる事もなく自分の居場所を確保するのに必死だったと思う。

イジメが治まった後の学生生活もそう。

小学校から中学校、高校に変わっても私はただただイジメられないように顔色を伺って、皆の機嫌を損なわないように目立たない程度に笑いをとりつつ仲の良いフリだけしてずっと過ごしてた。

よく「優しい」と言われるけど、それは機嫌を損ねないように断れないだけだったり、イジメられないように予防しているだけで、他人の為にしているわけじゃない。

自分が平穏に過ごせる居場所を確保する為に結果的に「優しい」と思われる行動に至ってるだけ。

私が培った関係は私を利用する人と利用される私という関係ばかり。

私自身も心開いていないし、それも仕方ないかなと思う。

だから大人になった今も会いたいと思うような学生時代の友達は1人もいないし、遊びたいという願望もない。

その反面、やっぱり居場所が欲しいのかとにかく子ども時代から結婚願望がかなり強かった。

私の存在を誰かにただ認めて求めてもらいたかったんだと思う。

依存体質かな。

ただ相手に恵まれずに結局、今実家に居る。

小言を言われても笑って流して、機嫌が良い時を見計らってイジったり笑いをとったりしていて、他人から見たら良好な親子関係なんだろうし、両親ともそう思っているんだろう。

私は居させてもらっている立場で何も文句は言えないし、鬱になって出戻ってきた私を迎え入れてくれた事には本当に感謝しているけれど、私は子ども達に同じような想いをさせたくない。

こんなに愛想を振りまいて、気をつかって、はじめて確保できるような居場所ではなくて、子ども達にとって無条件で気の休まる居場所でありたいと思うけど現時点でそれが出来ているのかは謎。

娘達は私に笑顔を向けてくれるけど、ちゃんと心から笑えているのかな?

心配。

これから実家も出て、娘達に依存してしまわない程度にお互いを認め合って生きていけたらな。