育児日記

父子家庭のおもひでぽろぽろ

なんだか疲れちゃった…ちょっと休みたいな?

こんにちは!

 

最近、ずっと病んでるんですけど、今朝、起きてからというものあんなにふざけ倒していたTwitterでツイートすることすら億劫になってしまってちょっとやばそうな1号です。やばたんです。やばたにえん。

 

Twitterなんだからもっと気軽に呟けばいいのにって感じですが、私の心の中のノブが許してくれないんです。

「ひとつもオチがないんじゃ」とか言ってくるんです。

まぁそうなると「どないせぇいうんじゃ」ってもう1人のノブが言い返すんですけど、ノブしかいないので特に進展もなく、グダグダのまま結局ツイートせずに終わる現状です。

 

なんというか自分自身に全く興味がなくなってしまってですね。

プリンに醤油かけるとウニの味がするってやつぐらい興味がなくてですね。

最近は拍車をかけて自分への期待値zeroです。そういえば桐谷美玲卒業しましたよね。見てないけど。

なんか今後の人生にも興味がなくなってしまったんですよ。

昔から似たようなもんでしたが今は特に惰性感満載で生きてる感すごいです。

 

よく"何の為に生まれたのか"とか考えることあるじゃないですか?

あのパンでできたヒーローの歌のやつ。

知ってます?あれアンパンマンっていってジャムパンマンってヒーローが作ったんですよ。

 

命って偶然が偶然を重ねてできた偶然の産物なんであって、そこには意味なんてないんじゃないかなぁって思うわけですよ。

私の場合は特に望まれてたわけでもなさそうで、父親と母親がチュウして母親が妊娠したわけですけど、父親は中絶しろって言っていたようですし、それを私本人に伝える母親も母親で。

 まぁだからこそ今ここに存在しているのが奇跡だとは思うんですけど、大事なのは"何をして生きるのか"の方ですよね。

ただそれが見つからずに病んでるわけですが。

 

"生きてたらいい事あるよ"とか

"今まで苦労したんだから後は幸せが待ってるね"とか

よく言われますけど、そんなの先生たちの言う「やればできる子」ぐらい信用できないですし。

"見ていてくれる人はちゃんと見ていてくれてるよ"とかもうね

すでに限界なんで見てないで声かけてもらえませんかね?

  

なんかもうなにをやっても楽しくなくて。

趣味ほしいなぁって思うんですけど、結局楽しめないから続かないし。

自分の人生なのに第三者感覚なんですよね。

鬱なんですかね?かなり冷めてる。

下ネタではしゃぐ男子生徒を見る女子生徒の目ぐらい冷めてます。

冷製パスタならよかったのにね。

美味しいよね。

でも、今死んでもこれっぽっちもおもしろくないじゃないですか?

子供達残されちゃうし、どうせ死ぬなら笑ってほしいですし。

葬儀でお寿司食えてラッキーぐらいに思われたくないですか?そうですか。

 

否定され続けて育つと私みたいになるんだな~と他人事みたいに思いながら、

反面教師で気を付けながら育児してるんですけど、たま~に親に似た自分が出てくるとかなり不安になって、自分なんかが親でいいのかなぁって思ってしまったり。

よく自分が親になったら親の気持ちがわかるようになるっていうじゃないですか?

全くないんですけどどうしたらいいです?

逆に、子供こんなに可愛いのになんであんなに愛してもらえなかったのか疑問が増えるばかり…

 

思い返せば、今までの人生、負の力で生きてきた感が強かったんですよ。

嫌なことや辛いことがあって、"ナニクソ"って力で必死になって生きてきた感じ。

ごめんなさい、言葉が汚かったですね。

"ナニウンチ"の力でお願いします。

それが今、仕事に関してもプライベートに関しても肥満にはなれどそんなに不満がない。

恨んでたハズの相手(元妻など)のこともどうでもよくなってしまったし。

子供たちも元気に育ってくれてますしね。

恋愛に関してはうまくいってないですけどほぼほぼ諦めてますし(笑)

夜の仕事のせいで寝れないのと親に小言を言われるのがストレスぐらいかな?

これも引越すまでの間の我慢ですし。

……なんか〇〇ですし、とか〇〇ますし、で終わる文が多いですし。

葬儀でお寿司食べたいですしね。

 

とにかく、この特に変化のない坦々麺とした毎日を全く楽しめてません。

子供との時間を増やせたらまた違うのかなぁ…

平日なんて本当に子供との時間すくないもんなぁ…

それともただ単に睡眠不足が原因?

思考も停止していて、私がした返信内容を見返したりすると、なんか言い回しに不備があって勘違いさせるような物言いしてしまっていたり、これ不快にさせてない?って感じの返事してしまっていたり、もうTwitter辞めたほうがいいんじゃない?って悩むレベルで辞める気はありません。

でも不快にさせてしまった方がいたら本当にごめんなさい。

 

なんかもう結局、この記事もそうですけど、素直に弱音吐けないって困っちゃいますよね。

何が伝えたかったのかもよくわからないし、オチも思いつかないし。

 

こちらからは以上です。

 

父親が親権を争った結果

こんにちは!

ブログを書くようになって過去を振り返ることが多くなっているのがちょっと辛い1号です笑

今回も過去を振り返りますよ!

初めての調停離婚、子どもの親権についてを書きたいと思います。

私に女性の見る目が無いってことには目を瞑って読んでください笑

 

離婚原因

色んなものの積み重ねですが、

妻の浮気性、家事への協力の無さ、育児参加の関心の低さが主な原因です。

妻は元々家事をしないで育った人でした。

それは結婚前から分かっていたのですが、結婚したら変わってくれる、出産したら変わってくれると淡い期待をもってしまっていたんですね…

期待は全て脆く崩れ落ちました笑

 

家庭の状況

妻は家事をしませんでした。

妻と話し合い、働いてもらうように促した結果、週4以上、一日6時間以上は働けないと言われ、それでもいいからと働いてもらう事に。

それから共働きでやっていたんですが妻は家事だけでなく育児に関しても、可愛がりはするものの、自分の気が向いた時のみ。

夜中のミルクや夜泣きで起きてくれたこともありません。

そんな中、致命的だったのが男遊びを始めたことでした。

 

話し合い

男遊びが発覚し、話し合いました。

離婚の話も出たんですが、再構築の方向へ。

しっかりと自覚を持って家事や育児に協力してほしいと伝えました。

その時はいい返事をもらえたのですが…

まぁ結果は何一つ変わりませんでした。

 

当時の子どもの状況

女の子で当時は二歳弱。

まぁろくに触れ合っていなかったので当然の結果なんだと思いますが、

妻には懐いてなかったです。

妻が抱っこしようとしても嫌がって逃げ出すような状況でした。

正直、当時の妻は子どもを着せ替え人形のような扱いをしていたと思います。

 

改善が見られず

結局、話し合いむなしく妻は変わってくれませんでした。

私は我慢の限界を迎え、離婚を切り出します。

次の日、妻は子どもを連れて実家へ帰っていました。

 

調停へ

子どもを連れて行かれてしまい、ろくに離婚の話し合いもできない状況になってしまったので調停を申し立てました。

争点は子どもの親権、もちろん私は引き取るつもりです。

何度も何度も調停で話し合いましたが、調停員はあからさまに妻の味方でした。

それまでの経緯も全て話していたのに、「旦那さんが主夫やればよかったんじゃないの?」と鼻で笑われたり、(主夫もしていた事はしっかりと伝えている)

「母親が虐待でもしてない限り父親は引き取れないよ」と言われた時に感じた理不尽さは一生忘れないと思います。

法律も勉強しましたが、調停員は父親に勝ち目のない調停を少しでも早く終わらせたかったんでしょう。

結局、私は心が折れてしまいました。

勝ち目のない争いを続けられるほど私は強くありませんでした。

自分に立ちはだかる法律という壁の巨大さと絶望感。

もうね…言葉に言い表せませんよ。

結局、調停の最後に、妻に会わせてもらい、子どものことをよろしくお願いしますと頭を下げたのを覚えています。

幸いにも、子どもは妻の実家でしたので、妻の母などの協力のおかげでちゃんと育ててもらえているようでした。

 

そして私はもう子どものためには養育費を支払うことしかできないという結論に至ってしまったんですね。

 

まぁしばらくは廃人のようになっていましたが笑

 

という、お話でした!

調停の話とかもっと詳しく書いたほうが参考にしてもらえそうですけど、細かく覚えていなかったので書けませんでした…ごめんなさい。

ではでは。

 

妻の不倫とお腹の子

こんにちは!

やましんぐるさんがツイートとブログ紹介をしてくれたので、その件について詳しく書いてみますよ(๑•́灬•̀๑)

なにから書きだしていいのかわからないので読みづらかったらすみません(´・_・`)

 

当時の家族状態

私:損害保険会社勤務(転職したてのほやほや)

妻:生保レディ(妊娠21週目)

長女:2歳なりたて

夫婦関係は良好。(だと思っている)

セックスレスで営みの頻度は半年に1回程度。

私からは誘っていましたが眠いという理由で断られることがほとんどでした。

 

妻の不倫発覚

なんとなく妻の行動に怪しい点がチラホラ。

気になるので悪いなぁとは思いつつ、スマホGPSのアプリを入れて場所を確認。

すると居るべき場所とは全く違う所に居たというのがまず最初です。

気になりつつも、長女を一緒に連れていくわけにもいかず、その時はそのまま保留。

これと同じ事が何回か繰り返しありました。

そして毎回、GPSの示す場所は同じ。

 

ある日、私が仕事で帰りが遅くなってしまう日があり、夕飯もいらないと伝えました。

仕事を終え、帰る前になんとなくGPSを確認すると家ではなく、例の場所を示していました。

長女も一緒にいるはずなのに??

やましい事ではなかったのかな?と思いつつ、確認の為にその場へ向かいました。

 

GPSの示していた場所は運送会社。

妻は当時、生保レディをしていたので仕事でトラブルでもおきたのかな?と思いました。

恐る恐る敷地内に入ると、コンテナハウスのような建物の中に妻と男性が談笑していました。

長女がいない…長女はどこ??と心配になりながら私は外で聞き耳をたててみたりしました。

しかし内容までは全く聞き取れません…

とりあえず長女の居場所が心配なので妻が長女を預けそうなお姉さん2人の内、1番上のお姉さんに電話をかけました。

1番上のお姉さんは「長女の事は預かってないけど実家やもう1人のお姉さんにも確認してみるよ」と言ってくれたので、私は妻と男性の様子をまた観察する事にしました。

 

しばらくすると、営みの前戯段階が始まり、

まだ希望を捨てていなかった私は頭が真っ白になりました。

証拠を撮らないと!と思った私は外から写真を撮ったりしたんですが、視覚が狭すぎて写ってるのはなんじゃこりゃ状態。

証拠にもなんにもならないような写真。

なんで私は自分の妻が他の男に弄ばれて喜んでるのを必死になって写真に納めようとしてるんだろう…と謎の境地に達していました。

 

そうこうしている内に建物内では本番行為がはじまります。

避妊をしている様子もみられません。

私は限界でした。

建物の扉を開けて「うちの妻を返してもらっていいですか?」と乗り込みました。

妻は扉を開ける時の音でとっさに奥に隠れ、男性はズボンを穿きながら

「すみません、保険のことで相談してました」と言い訳を言い出したので、

「全部見ていましたので」と答えました。

妻が奥からうつむいて出てきたので、妻を呼び、男性には「中途半端で終わらせてしまってすみませんね」とわけのわからない捨て台詞を吐いて、妻に「帰るよ」と言って建物を出ました。

 

建物の外で妻に「長女は?」と居場所を聞きました。

やはり2番目のお姉さんに預けていたようです。

そしてお姉さんは不倫を知っていて長女を預かっているという事も聞きました。

妻に「いつから不倫してたの?」と聞くと「10ヶ月ぐらい前から」との答え…

そこではじめて疑問に思って、

「え?お腹の子は?」ととっさに口から出てました。

「ほぼ間違いなく彼の子」と妻はこう答えました。

 私は真顔でした。

「とりあえず長女が心配だから迎え行くよ」と妻に告げ、

妻とは別々の車で長女の迎えの行きました。

 

長女を迎えに行くと、

2番目のお姉さんはかなりばつの悪そうな顔をしてました。

 

 たぶん、バレたことを妻が連絡していたんでしょう。

そんな中、長女は天真爛漫な笑顔で出迎えてくれました。

 

家に帰宅して、まず長女を寝かしつけました。

もう遅い時間だったこともあり、長女はすぐに寝てくれました。

 

それから妻との話し合いです。

男性は妻子持ち。

なぜ不倫してしまったのかに関しては、誘われて舞い上がってしまったとの事。

私に不満があるわけではないと言われました。

男性との連絡のやり取りを見せてもらうと、2番目のお姉さんの話題が出てる?

妻に聞くと、お姉さんも別の男性と不倫をしているとのこと。

妻が男性に言い寄られている事をお姉さんに相談したら、不倫を薦められ、妻もその気になって不倫開始。

お互いに協力しあって不倫、情報交換していたらしい。

まぁでもそんなことよりもまずはお腹の子の事。

どういうつもりで今まで黙っていたのか、お腹の子の人生をどう考えているのか

男性はどう考えているのか、お腹の子が産まれ何かがきっかけで今回の事が発覚していたらどうするつもりだったのか…などなど

話し合った結果、わかったことは妻は「妊娠した!産みたい!バレたら一人で育てる!」という単純明快な考えでしかなかったこと。

私や、長女、お腹の子の気持ちなんてものは一切考えられてませんでした。

男性は妊娠が発覚した当時から責任は一切とる気なし。

問題はすでに妊娠21周、中絶するとしたら残り数日のうちに決断するしかありません。

決断するなら悩んでる暇なんてありませんでした。

でも悩んでしまったんですよね。

妊娠が発覚してから我が子としてお腹に話しかけてましたし、長女も赤ちゃんがいることを知っている。

なにより妻のリスクやお腹の子のことを考えたら決断できませんでした。

 

再構築とうつ病

妻には会社を辞めるようにと男性との連絡を完全に絶つ事、2番目のお姉さんとも必要最低限の接触以外しないことを条件に再構築を試みました。

長女の為に、なるべく離婚はしない方向に考えました。

お腹の子のことは結局決断できないまま、22週目に突入してしまったので中絶はもうできません。

必然的に私が自分の子として育てることになります。

長女と同じように平等に愛せるのか、この子をみる度に思い出してしまわないか、

血液型が違かったらなんて説明する?、反抗されても愛せるのか、

虐待してしまうのではないか…などなど

もう考えてもきりが無く、答えも出ないような疑問を常に自分自身に問い続ける毎日が続きます。

そして私は、次第に仕事に行けなくなり、家事ができなくなり、子供と遊ぶこともままならず、自分のトイレに行くことがやっとでほぼ寝たきりのような状態になりました。

加えて、トラウマなんでしょうね。

不倫現場を直接見てしまったせいかフラッシュバックもよくしていました。

 

フラッシュバック (flashback) とは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様にに見たりする現象。心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害の特徴的な症状のうちの1つである。

フラッシュバックという用語は過去に起こった記憶で、その記憶が無意識に思い出されかつそれが現実に起こっているかのような感覚が非常に激しいときに特に使われる。フラッシュバックが起きた場合には、必ずしも映像及び音が存在するとは限らない。記憶には様々な要素があるため、フラッシュバックは「恐怖」などといった感情味覚痛覚など、感覚の衝撃として発生し得る。

フラッシュバックは、幼児期に経験した外傷体験を言語的に認識する能力を持たないまま記憶し、それでもなお忘れられない場合にも起こる。この、外傷体験を当初から取り込むことに失敗する現象のことを解離という。この記憶はまともに意識に上らないため、時間に抵抗し変造加工が困難である。また、それゆえにフラッシュバック性の記憶はその鮮明さにも拘らず言語化が困難でもある。さらに時間とともに霞がかからずむしろ原記憶よりも鮮明さは増す傾向が強い。

幼年期のトラウマの体験者は、これらの感情の記憶を意識化しないまま持っている可能性もあり、そしてフラッシュバックにおいてそれらを再経験する可能性がある。

アスペルガー症候群などの広汎性発達障害でもフラッシュバックを引き起こすことがある。

フラッシュバック (心理現象) - Wikipedia

 

妻に頼み、病院へ

カウンセリングを受けてうつ病だと診断されました。

 

うつ病(うつびょう、鬱病、欝病、英語: Clinical Depression)は、気分障害の一種であり、抑うつ気分、意欲・興味・精神活動の低下、焦燥(しょうそう)、食欲低下、不眠、持続する悲しみ・不安などを特徴とした精神障害である[2]

精神障害の診断と統計マニュアル』第5版 (DSM-5) には、うつ病の診断名とうつ病性障害(だいうつびょうせいしょうがい、英語: Major depressive disorder)が併記されており、この記事では主にこれらについて取り上げる[3]。これは1日のほとんどや、ほぼ毎日、2、3週間は抑うつであり、さらに著しい機能の障害を引き起こすほど重症である場合である[4]。1 - 2年続く死別の反応、経済破綻、重い病気への反応は理解可能な正常な反応である場合がある[3]

有病者数は世界で3.5億人ほどで一般的であり、世界の障害調整生命年(DALY)において第3位(4.3%)に位置づけられる[5][6]。しかし多くの国にて治療につながっておらず、先進国であろうと適切にうつ病と診断されていない事が多く、その一方ではうつ病と誤診されたために間違った抗うつ薬投与がなされている[5]。WHOはうつ病の未治療率を56.3%と推定し(2004年)[7]、mhGAPプログラムにて診療ガイドラインおよびクリニカルパスを公開している[2][5]

うつ病 - Wikipedia

 

収入も無くなり、妻も妊娠中で新しい職場を探すのも難しくなってしまった為、

実家に戻り、両親や兄(長男)に事情を説明。

理解してもらい住まわせてもらえることになりました。

兄は産まれる前に離婚したほうがいい、産まれると情が湧いてしまう、と言われたり、先ほど述べた私が悩んでいるようなことも心配していましたが最終的には「お前は優しすぎるから」と自分を納得させてました。

 

実家に戻ってからは平凡な時が流れます。

とは言っても、長女が保育園に通っている間はほぼ寝たきり生活。

家事は母がほとんどやってくれていました。

長女が帰ってくると、メインは妻でしたが、私もできる限り遊んだり。

そして収入が全く無いのは困るので、夜中のアルバイトを始めました。

 

次女誕生

妻のお腹がかなり大きくなりました。

まだまだ私はウジウジ悩んでいます。

悩みながらも、私はお腹の子へ毎日絵本を読み聞かせていました。

これはもう気力です。

愛情が湧くように努力していました。

そして出産。

もちろん立会いです。

元気に産まれてきてくれました。

私はというとなんともいえない感情。

でも、根拠もなく大丈夫かもと思えた気もします。

例のお姉さんが直接出産報告の連絡が来なくてSNSで出産を知って悲しくて泣いたという知らせが届いたのが印象的です。

どうでもいいし、どの面下げて言っているのか。

 

名付けと育児

次女の名前を考えました。

長女の名前に関係した名前。

どこかに繋がりをもたせたかったからです。

妻も喜んでくれました。

育児に関しても積極的にやっていました。

母乳だったので、そこだけは妻に頼み、他にできることは極力やりました。

数ヶ月経ってから、妻には収入確保のため働いてもらう事に。。

私も引き続き、夜のアルバイトをしていました。

次女も昼間は保育園に預けられればよかったのですが、いっぱいで預けられず。。

私が昼間育児、妻が仕事をする事になりました。

 

それから少し経ち、次女が小規模保育施設に入れることに!

私は、夜のアルバイトはあるもののやっと自分の病気に向き合い、休養ができると思っていました。

 

救われた言葉

この頃ですかね、たまたま以前働いていた職場に顔を出す機会があって、

最後に仕事を教えていた部下と少し話しをしました。

彼はかなり楽観的な性格で、私とは真逆の性格です。

私はもうとにかく誰でもいいから話を聞いてもらいたくて、彼に次女のことと私の悩みを話しました。

彼は私に聞きました。

「一号さんは長女ちゃんと次女ちゃんがいて次女ちゃんが泣いてても長女ちゃんを優先しますか?」

「それはさすがに次女じゃないかな?」と私が答えると、彼は「じゃあ大丈夫っしょ!」とかなり雑な答えw

でもこれにかなり救われたんですよね。

たぶん私の中ではすでに答えが出ていて、ただ背中を押してもらいたかったんだと思います。

この時から何かが吹っ切れました。

 

妻の恋

なにで発覚したのか忘れてしまった…

とにかく妻が他の男とやり取りしているのが発覚しました。

まだ不倫にまで発展はしていないものの、今後どうなるかなんて目に見えてます。

妻と話し合いました。

相手は地元の後輩で仕事中に声をかけてきたらしい。

話し合っている最中に、妻のスマホに男からの着信。

まさに今話しているその男でした。

私が電話に出て「もう関わらないでください」と告げました。

相手は「そういう関係じゃない」と言っていましたが、今後そうなろうとしてるのは明らかだし、すでに妻の気持ちが揺れている。

 

離婚と親権

ここまできても私は再構築しようとしてましたが、もう妻にはその気がありません。

いくら話しても聞く耳持たず、子供より新しい男のことしか見えてなさそう。

結局、そのまま離婚の流れに…

その頃になると、もう私の気持ちや覚悟は決まっていたので子供は2人とも私が引き取ると妻に伝えました。

妻は最初「病気の癖に育てられんのかよ」と言っていましたが、すぐに折れました。

 

この報告をした結果、幸いにも父も母も私の決断を受け入れてくれたのはありがたい限りです。

主治医には人が好すぎると言われ、弁護士さんには病気の悪化を心配を…

そして兄には報告できてませんが、引き取ったことは知ってくれているので諦めているんでしょうw

 

まとめ

読んでもらったらわかりますけど、不倫相手の子?関係ねぇ!俺が育てる!みたいなかっこいい判断でこうなったわけじゃありません。

実際はぐだぐだに悩みに悩んでろくな答えも出せないままに事が進んでこうなったって言ったほうが正しいです。

そんなできた人間じゃありません。

今となっては何をあんなに悩んでいたんだろうと思えるぐらい普通に子供たちを愛せてますけどね!

姉妹で仲も良いのでバラバラにしなくて良かったと心から思います。

年頃になって反抗期をむかえたらという心配に関してはイヤイヤ期も乗り越えてますけど?ってスタンスでw

病気に関してはこの時期に無理しすぎたせいでこじらせてる感は否めないですけど良い方向にはむかってるかな?

なんだかんだ子供たちのおかげで私は幸せですよ!

 

姉のこと

お久しぶりになってしまいました!こんにちは!

ツイッターばかりやってないでブログ更新しろよって話ですよねw

今回は一号の姉の話をしたいと思います!

もうだいぶ前のことなので記憶も曖昧ですがw

 

一号の姉

一号には三つ年上の姉がいました。

過去形なのはすでに亡くなっているからです。

姉は22歳という若さで自らの命を絶ちました。

 

姉が他界してからもう十年以上が経ち、

一号の年齢も姉が亡くなった年齢より一回り以上も上になっているんですよね。

信じられないです。

 

姉との思い出は沢山あります。

 

まずは一号の姉がどんな姉だったのかお話ししますね!

 

姉の子供時代

姉は四人兄弟の中で唯一の女の子。

それはそれは父親にだいぶ甘やかされて育ちました。

末っ子の一号から見てもあからさまに差を感じるほどだったので、

兄たちは余計に感じていたでしょう。

そんな姉は自己中心的。

まぁ、一番権力のある父親が甘やかすからそういう思考になってしまったんでしょう。

子供の頃はわがままなお姫様タイプでした。

 

一号と姉

完全なる主従関係にありましたw

記憶にあるのは姉が「靴下穿かせて」と言えば何も疑問に思わずに靴下を穿かせたりしていた事や、姉に親のお財布からお金の盗み方を教わったりしていたこと。

一号が髪を染める為に毛染め液を塗り、放置時間で待っていると「出かけるよ!」と言われ、その状態のまま連れ出されたり。

一号がいじめにあったことを知った時に指をさされて笑われたり。

ひとの失敗を嘲笑う小悪魔のようなろくでもない人ですねw

それでも一号は姉が大好きでした。

頭の回転も早く、センスもあっていちいちおもしろい。

それに他人とは違う視点で物事を見る人で、沢山相談させてもらい沢山アドバイスももらいました。

いくらバカにされてもどこか愛を感じるそんな人でいまだに適わない人です。

 

姉の半生と亡くなるまで

姉は中学生になると家出を繰り返したり、塾で知り合った男子と合コンしていたり…

高校生になると一人暮らしを始めますが、無理なダイエットの結果、摂食障害になったり、犯罪行為(内容は控えます…)を繰り返したり、自傷行為をするようになったり…冗談にもまともとは言えない生活を過ごし、高校三年生のある日、姉は妊娠しました。

高校を自主退学して、彼の実家で義両親と同居になったんですが、しばらくすると離婚。

姉は実家の仕事を手伝いつつ子供と二人暮らしを始めましたがまた自傷行為を繰り返すようになってしまい、病院に行くことに…

 

そこで姉は躁鬱病で擬似解離性同一性障害だと診断されたと言っていました。

そして二人暮らしは無理があるということで姉と子供は実家に帰ってきました。

 

双極性障害(そうきょくせいしょうがい、: Bipolar disorder)は、躁病(そうびょう)と抑うつの病相(エピソード)を循環する精神障害である[1][2][3][4]

ICD-10と以前のDSM-IV(1994年)では、うつ病とともに気分障害に分類されている[5]ICD-10における診断名は双極性感情障害であり[6]、もっと古くは躁うつ病そううつびょう躁鬱病)と呼ばれた。

双極I型障害と、より軽い軽躁病のエピソードを持つ双極II型障害とがある。双極性障害躁状態うつ状態はほとんどの場合回復するが、90%以上再発する。単極性の(躁病のない)うつ病は異なる経過をたどる。発病のメカニズムや使われる薬は異なる。

気分安定薬による予防が必要となることが一般的である[7]双極II型障害に対しては証拠が少なく薬物療法はケースバイケースで判断する[8]。生活習慣の改善が必要となる[7]。障害とは生涯にわたるつきあいとなる。20年後の自殺率は6%以上高く、その他の不安障害薬物乱用などの併発も多い[9]

世界保健機関(WHO)は世界で6000万人が罹患していると推定している[3]。好発年齢は25歳で[9]、初回発病は15-19歳からであり12歳以下は稀である[2]。35歳以上でも別の原因が念頭に入れられる[10]一卵性双生児における一致率は50 - 80%と、二卵性双生児 (5 - 30%) よりも高いことから、遺伝要因の関与が高いことが指摘されている[11]

双極性障害 - Wikipedia

 

解離性同一性障害(かいりせいどういつせいしょうがい、: Dissociative Identity Disorder ; DID)は、解離性障害のひとつである。かつては多重人格障害: Multiple Personality Disorder ; MPD)と呼ばれていた[注 1]

解離性障害は本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと感じたり、あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害であるが、解離性同一性障害は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである。

DSM‒5では、解離性同一症の診断名が併記される。

解離性同一性障害 - Wikipedia

解離性同一性障害の擬似というのは、別人格が表に現れている状態の時の事も記憶として残る人のことをそういうらしいです。

 

姉の主人格は奥深くにいるらしく滅多に表へ出てこないらしく普段はよく表に出てくる三人ほどの人格が姉の真似をして生活をしていました。

姉いわく真似といっても元々は同じ人間なので、真似という次元の話ではなく見分けることは不可能レベルらしいです。

 

姉の病気は全く良い方向には進まず、次第に別人格が出てる間の記憶も無くなり擬似という文字も外れました。

入院、退院、通院を何度繰り返したことかもう覚えてません。

人格の数も把握できているだけで60人ちょい。

もしかしたら最後まで見つかってない人格もいたかもしれません。

数だけ見ると凄いですが普段表に出る人格はだいたい決まっているので、

一号が会った人格は数えるほどしかいません。

 

その頃に一緒に過ごした生活はなんとも言えないですね。

夜中に「別人格が大量に薬飲んだから病院連れてって!」と姉に頼まれ、病院へ行き胃洗浄してもらったり、姉が一号の目の前で手首切るのを眺めてたり。

そんなのが日常で、これが当たり前に続くと思っていました。

完全に感覚が麻痺してましたね。

 

その後、また姉は入院。

そのうちすぐ退院するんだろうと甘く考えていたんですが、夜中に病院から電話。

私以外の家族は皆寝ていたので、私が出ました。

「○○病院です。少し目を離してる間に姉が首を吊ってしまいました…かなり危険な状態です」この時のことはかなり鮮明に覚えています。

すぐさま両親を起こし、早く病院へ行くように伝えました。

私は何も知らずに眠っている姉の子と一緒に家で待つことに…

そして翌朝、両親が帰ってきてから一号は姉が亡くなったことを聞きました。

 

姉の葬儀

姉の葬儀には信じられない程の人が…

一号が知ってる人もいますが知らない人も沢山いました。

社会的には認められないような人でしたが、人柄なのか、姉は一号の想像以上に多くの方々から愛されていたようでした。

この葬儀の日、一号は生まれて初めて父と母の涙を見ました。

 

姉が亡くなってから知ったこと

姉は幼少期、幼稚園ではイジメを受け、それと同時期に近所のおじさんに性的ないたずらをされていたようです。

初めて人格が作られたのもその時期だと思われます。

また中学の家出時代に友人の父親が自殺しているのを目撃したり、友人の自殺未遂を目の当たりにしたり、妊娠中に性的暴行にあったり、元旦那からDVを受けていたり…

 

そりゃあんだけ人格増えるよ。

辛かったよね。

 

姉の子

元気に過ごしてますよー!

もうすぐ大学生!

父と母が頑張って育ててます(´。•ω•。`)

姉とは違い温室育ちのこの子は楽観的で、アホだなと思います笑

 

姉へ

あなたとは話したいことが沢山ある!

あれからあなたの子供がどんな風に成長していったのとか!

あなたが亡くなってから一号は2度も離婚して今はシングルやってるとか!

私がどん底にいる時にあなたに腹抱えて笑ってほしかったよ!!!

そういう話大好きじゃんか!!!

もう!!!

今話せたらめちゃくちゃ盛り上がりそうなのに!!!

 

 

養育費と面会交流

こんにちは!

最近、Twitterの方で養育費の話題がよく出ていたので、払う側でもあり貰う側でもある一号の養育費や面会交流についての考えを述べたいと思います(*・ω・)*_ _)ペコリ

 

まず最初に

一号はバツ2であり、第一子は最初の奥さんが引き取っている為、養育費を支払いながら、

二番目の奥さんとの間の子は一号が引き取っているので養育費をいただける立場でもあります。

貰えてないんですけどねw

 

つまりどちらの立場でもあるという事ですね!

 

養育費と面会交流は別問題

なんだか一緒に考えている方が多いみたいなのですが、一号は養育費と面会は別々に考えるべきだと思います。

 

まず養育費ですが、これは離婚原因がなんであれ別居親は同居親に支払うべきです。

生命を育てるのには間違いなくお金がかかります。

なんて偉そうな事を言っていますが一号も一時期、鬱になり、仕事ができなくなってしまった時は支払うことができず、未払いになってしまいました。

今は減額請求を経て、金額を少し減らしてもらい、当時の未払い分の一部と合わせて毎月支払わせてもらっています。

なので生活が苦しくて支払えないなどどうしようもない理由がある場合は相談したり減額請求してもう一度調停をしたりしましょう。

別居親にも生活があるのは重々承知ですが未払いだけは絶対にして欲しくないです。

 

次に面会交流ですが、これは離婚原因によってかなり変わってくると思います。

まず離婚原因が別居親にある場合。

信頼ゼロです。むしろマイナス。

そんな相手に大切な子供を会わせられるでしょうか?

正直、無理です。

子供の為の交流なのに子供の為にならないような人とは会わせられません。

子供自身も会いたくないのでは…

 

子供と会いたいという気持ちがあるならば、せめて過去の行いを反省し、同居親や子供に対して誠意を見せてください。

変わったんだという姿を見せてください。

会わせられるかどうかはそれからだと思います。

 

ここで勘違いしてしまう方が多そうですが、養育費の支払いは誠意ではありません。

義務です。

養育費を支払っているからと言って、誠意を見せたから面会させてほしいというのはお門違いです。

 

離婚原因が同居親にある場合。

この場合は堂々と面会交流を希望していただいて良いと思います。

一号も月一で面会させてもらっていました。

子供もきっと会いたがっていると思うので精一杯愛情を注いであげてください。

でもプレゼントなどは同居親の意向もあるので必ず同居親に相談してからにしてください。

過度のプレゼントは迷惑になります。

 

またこの場合でも養育費は必ず支払ってくださいね。

子供を連れ去られたと言う方もいらっしゃるかもしれません。

一号の場合も連れ去りに似たようなものでした。

いきなり子供を連れ去られて納得できない気持ちもわかります。

養育費を支払ったところで子供の為に使うとは思えない同居親もいます。

それもわかります。

それでも一号は支払うべきだと思います。

お金の余裕は心の余裕にも繋がるので、養育費の支払いによって同居親が子供に対して少しでも優しく接してくれるようにと願いながら一号は養育費を支払っています。

 

養育費を拒絶している方

一号の個人的な意見を言わせてもらうと絶対に養育費は貰っておいてほしいです。

あんな奴のお金なんていらない

貰わなくても困ってない

自分の力だけで育ててみせる

縁を切りたい

そんな理由で養育費をいらないって言っている方々が結構いらっしゃいました。

でもそれって親の都合じゃないですか?

養育費を貰うのってそもそも子供の権利だと思うんです。

子供の権利を親のプライドで放棄しないでください。

お金に綺麗だの汚いだのありません。

お金はお金です。

お金に罪はありません。

お金はあればあるほど質の良い教育を受けさせてあげられます。

たくさんの経験をさせてあげられます。

それには困っていないかもしれませんが、それが未来永劫続く保証はあるのでしょうか?

仮に、何事もなく養育費に一切手をつけずに子供が成人できたとしたらその時は養育費全額をお子さんに渡してあげればいいと思うんです。

お子さんは生活費の足しにしてもいいし、起業など、好きなことに使うといい。

お子さんの未来は希望に溢れています。

そこに相当額のお金を添えられてあげられたら、お子さんのチャンスはもっと広がると思いませんか?

お金はないと困りますが、あっても困りません。

 

養育費を支払わない方

意図的に逃げてるならもう一生這いつくばって逃げ回っててください。

あなたにはその姿がお似合いです。

 

支払いが難しい方は、上記にも記したように必ず相談してくださいね。

 

まとめ

同居親も別居親も子供の事を1番に考えてほしいです。

養育費の有り無しが子供の精神にどう影響するのかとかも考えて。

 

※別居親からのDVなどで完全に縁を切りたいという方や養育費の請求からトラブルに巻き込まれそうといった方の意見もお聞きしました。

そのような場合ですと同居親の精神状態によってお子さんに悪影響を及ぼしてしまう可能性がある事、お子さんが直接トラブルに巻き込まれてしまう可能性がある事も考慮して一概に請求した方がいいとは言えないです。

子供の為の養育費のせいで子供が犠牲になってしまっては本末転倒なので…

 

ちょっとしたオススメ

養育費を振り込んでもらう口座を普段使っている口座にしてしまうと何気なくした通帳記帳の際に見たくもない別居親の名前などを見て気分が悪くなってしまったりする人もいるかもしれないので養育費専用の口座を作っておくと良いと思います!

いつから振り込まれてないとか把握もしやすいので!

 

なんかバァーっと書いてしまったので文がおかしかったりするかもしれません(´・_・`)

すみません…